チョン・ホラン
~ 図書館の少女の物語 ~
「もう賽は投げられたんやで!」
「ほら!『人間が本を作り、その本が人間を作る』ちゅう言葉に間違いないんや!」
図書館に足を踏み入れるや鼻をかすめる本の匂いに、たちまち胸がいっぱいになる。一日でも本を読まへんかったら、口の中にとげが生える、チョン・ホラン。本ほどウチを喜ばせてくれるもんはない。
「あ、ちゃう。本よりウチを喜ばせてくれるものが、他にもあったやん!」
それは幼い頃からの夢や。
8人姉妹の家に生まれ、騒々しい暮らしが日常やったウチは、自分だけの時間がほしくなるといつも図書館へと走った。聞こえてくるのはページをめくる音と、カリカリと字を書く音だけ。図書館の廊下を歩きながら頭の中で歌うと、家の中ではさっぱり聞こえへんかった自分の声が、はっきり認識することができた。
そんなある日のことやった。その日に限って図書館に誰もおらず、まさに静寂そのもの。チャンスは今しかないと、小さく声を出して歌ってみた。すると、窓の外で風が吹き、誰かの声が聞こえてきた。
『その歌、再会した時に一緒に歌おう―』
ぎょっとして、誰かいたのかと周囲を見回していると、また風が吹き、静寂が戻った。
「い…、今のは何や?」
その声は幻聴やないと、ウチは信じて疑わへんかった。顔も名前も知らんけれど、声の主とウチは同じ夢を持っているのだと感じた。そして、これが【約束】となった。彼女は、きっとウチに会いにくるだろうとも思った。
***
いつか必ず夢は叶う。ウチはソクラテス先生の胸像に向かって言った。
「ソクラテス先生、そうやろ? ソ先生は言いはりましたよね。自分自身を掘り下げろって!
ソ先生の言葉に深い感銘を受けて、釜山の8人姉妹の末っ子チョン・ホランは1人で上京
してきたんですわ。自分自身、自分の心を掘り下げるために!」
釜山から当てもなくソウルに出てきたのは全て、彼女のことがあったからや。
自分の望みは何なのか、はっきりと知りたかった。そして、その答えはきっと彼女が握っている気がしたから、ここに来たんや。
来たんはいいが…。姉たちと離れての1人暮らしは、思っとった以上に寂しかった。寂しさに耐えかね、一日に何度も帰りたいと思ったわ。いつも周囲にあふれていた姉たちの声が好きだったんやなとも思った。ウチを待っているだろう姉たちのことを思うと、今すぐ帰りたくなるけれど、夢のことを考えると足が動かない。
ウチは肩を落として、本に顔を埋めた。寂しくてしんどいウチを慰めてくれるのは、やっぱり本だけ。
「ああ、せやけどしゃあない。なぜって?名言があるやろ。ウチの辞書に不可能はないって。
ウチは絶対に諦めへん…」
『そうよ。私たち、いつかきっと会おうって約束したでしょ』
耳元をかすめた聞き覚えのある声に、ウチは振り向いた。
絶対にそうや、間違いあらへん! 彼女が会いに来たんや。ウチは鼻先までずり落ちた眼鏡を押し上げて、周囲を見回した。あの時よりもはっきり聞こえた声。今、彼女はここにおるんもんやと思っていたのに。
「どこ、どこにおるん!?」
早朝の図書館には、ウチ1人。彼女の姿は見当たらなかった。その時、たった今、顔を埋めていた本がひとりでに開いた。まるで、本の中に別の世界でもあるかのように、開いたページの中から青い光が漏れた。
『ホラン、私は全ての準備を整えたわ。あなたもそうでしょ?』
「もちろん!あんたをどんなに待っとったことか。見知らぬ土地での暮らしにも耐え、ずっと
待ってたんやで!」
ついに、彼女と再会できたと思ったら、焦りを感じた。今すぐ本の中に飛び込もうとするウチに、彼女が改めて聞いた。
『この世界で私たちは、また一緒に歌えるわ。そして、すてきな仲間と一緒に
ステージも立てる。』
「そうや。それがウチの夢であり、あんたの夢やんな?」
『でも、ここにあるのは私たちの夢だけではないの。挫折もあるだろうし、
消滅の可能性だってある』
その声に、ウチは少しためらった。消滅? 恐ろしい言葉やったけれど…かといってここで諦めたりしたら…。そん時、本に書かれていた文章の一節が目に飛び込んできた。
「船は港にいる時が最も安全だ。しかし、それは船の存在理由ではない」
ウチはその本を胸に抱き、彼女について行こうと心に決めた。
「もう賽は投げられたんやで。引き下がらへん!」
ウチは自信満々な声でそう言った。もともと、そのくらいの覚悟を持って釜山を離れ、ここまで来たのやから。自分の夢を見つけるためなら何だってやる準備は整っていた。
『あなたを絶対に消滅させたりしないと約束する。
あなたを見つけた時みたいに、今回も私には自信があるの』
それは彼女もまた同じようやった。彼女の声には自信がみなぎっていたから。
~ 図書館の少女の物語 ~
「もう賽は投げられたんやで!」
「ほら!『人間が本を作り、その本が人間を作る』
ちゅう言葉に間違いないんや!」
図書館に足を踏み入れるや鼻をかすめる本の匂いに、たちまち胸がいっぱいになる。一日でも本を読まへんかったら、口の中にとげが生える、チョン・ホラン。本ほどウチを喜ばせてくれるもんはない。
「あ、ちゃう。本よりウチを喜ばせてくれる
ものが、他にもあったやん!」
それは幼い頃からの夢や。
8人姉妹の家に生まれ、騒々しい暮らしが日常やったウチは、自分だけの時間がほしくなるといつも図書館へと走った。聞こえてくるのはページをめくる音と、カリカリと字を書く音だけ。図書館の廊下を歩きながら頭の中で歌うと、家の中ではさっぱり聞こえへんかった自分の声が、はっきり認識することができた。
そんなある日のことやった。その日に限って図書館に誰もおらず、まさに静寂そのもの。チャンスは今しかないと、小さく声を出して歌ってみた。すると、窓の外で風が吹き、誰かの声が聞こえてきた。
『その歌、再会した時に一緒に歌おう―』
ぎょっとして、誰かいたのかと周囲を見回していると、また風が吹き、静寂が戻った。
「い…、今のは何や?」
その声は幻聴やないと、ウチは信じて疑わへんかった。顔も名前も知らんけれど、声の主とウチは同じ夢を持っているのだと感じた。そして、これが【約束】となった。彼女は、きっとウチに会いにくるだろうとも思った。
***
いつか必ず夢は叶う。ウチはソクラテス先生の胸像に向かって言った。
「ソクラテス先生、そうやろ? ソ先生は言いはり
ましたよね。自分自身を掘り下げろって!
ソ先生の言葉に深い感銘を受けて、釜山の8人
姉妹の末っ子チョン・ホランは1人で上京して
きたんですわ。自分自身、自分の心を掘り下げる
ために!」
釜山から当てもなくソウルに出てきたのは全て、彼女のことがあったからや。
自分の望みは何なのか、はっきりと知りたかった。そして、その答えはきっと彼女が握っている気がしたから、ここに来たんや。
来たんはいいが…。姉たちと離れての1人暮らしは、思っとった以上に寂しかった。寂しさに耐えかね、一日に何度も帰りたいと思ったわ。いつも周囲にあふれていた姉たちの声が好きだったんやなとも思った。ウチを待っているだろう姉たちのことを思うと、今すぐ帰りたくなるけれど、夢のことを考えると足が動かない。
ウチは肩を落として、本に顔を埋めた。寂しくてしんどいウチを慰めてくれるのは、やっぱり本だけ。
「ああ、せやけどしゃあない。なぜって?名言が
あるやろ。ウチの辞書に不可能はないって。
ウチは絶対に諦めへん…」
『そうよ。私たち、いつかきっと会おうって
約束したでしょ』
耳元をかすめた聞き覚えのある声に、ウチは振り向いた。
絶対にそうや、間違いあらへん! 彼女が会いに来たんや。ウチは鼻先までずり落ちた眼鏡を押し上げて、周囲を見回した。あの時よりもはっきり聞こえた声。今、彼女はここにおるんもんやと思っていたのに。
「どこ、どこにおるん!?」
早朝の図書館には、ウチ1人。彼女の姿は見当たらなかった。その時、たった今、顔を埋めていた本がひとりでに開いた。まるで、本の中に別の世界でもあるかのように、開いたページの中から青い光が漏れた。
『ホラン、私は全ての準備を整えたわ。
あなたもそうでしょ?』
「もちろん!あんたをどんなに待っとったことか。
見知らぬ土地での暮らしにも耐え、ずっと待って
たんやで!」
ついに、彼女と再会できたと思ったら、焦りを感じた。今すぐ本の中に飛び込もうとするウチに、彼女が改めて聞いた。
『この世界で私たちは、また一緒に歌えるわ。
そして、すてきな仲間と一緒にステージも
立てる。』
「そうや。それがウチの夢であり、あんたの
夢やんな?」
『でも、ここにあるのは私たちの夢だけでは
ないの。挫折もあるだろうし、消滅の可能性
だってある』
その声に、ウチは少しためらった。消滅? 恐ろしい言葉やったけれど…かといってここで諦めたりしたら…。そん時、本に書かれていた文章の一節が目に飛び込んできた。
「船は港にいる時が最も安全だ。しかし、それは
船の存在理由ではない」
ウチはその本を胸に抱き、彼女について行こうと心に決めた。
「もう賽は投げられたんやで。引き下がらへん!」
ウチは自信満々な声でそう言った。もともと、そのくらいの覚悟を持って釜山を離れ、ここまで来たのやから。自分の夢を見つけるためなら何だってやる準備は整っていた。
『あなたを絶対に消滅させたりしないと約束する。
あなたを見つけた時みたいに、今回も私には
自信があるの』
それは彼女もまた同じようやった。彼女の声には自信がみなぎっていたから。